田舎住職 つれづれのつぶや記

仏教・禅のこと、お寺の日々のこと

足の裏が教えてくれるもの

立春が過ぎ、暦の上では春となりました。

もちろん、まだまだ寒い日が続いていますが、晴れた日の青々とした空を見ると少しづつ季節が移り変わっていることを感じます。

大阪にいた時は、冬でも晴れの日が続くことは珍しくありませんでしたが、山陰は晴れの日が本当に少なく、雨・雪・曇りなど天気の悪い日が続くことも度々です。

田舎に戻ってきた最初の年の冬は、その独特な気候に気が滅入り、太陽の光の大切さと日照時間が私たちの心に影響を与えることを身をもって実感させられました。

今年の四月で丸六年を迎え、その気候にも随分と慣れはしましたが、やはりこの時期になると本格的な春が来るのを待ち遠しく感じます。

さて、先日「あしたが変わるトリセツショー」という番組を見ました。

食事や健康など日々の生活に役立つ情報を、科学的な根拠を元に発信している番組です。

今回のテーマは「足」について。

歳をとると、つまづいたり転んだりしやすくなるという話は良く耳にしますが、年齢に関係なく足指の握力が弱るほど転倒のリスクが上がるそうです。

転倒や転落によって亡くなる人は交通事故で亡くなる人のなんと約三倍。

私達が元気で健康に生きていくためにも足指がとても大切だということでした。

普段あまり意識することのない足指ですが、その足指が身体全体に大きな影響を与えているのです。

私の中でも、ここ最近(といっても1年以上たちますが)足(足裏、足指)ブームが続いています。

一番最初に足の大切さに気づかされたのは、舞踊家の西園美彌先生のセミナーがきっかけでした。

姿勢について学びたいと思い西園先生のセミナーを受けたのですが、足指の簡単なワークをするだけで、立ったときの姿勢が変化するだけでなく、身体の動きの滑らかさ、呼吸の深さや関節の可動域まで身体全体に変化が起こったことにとても驚き、それ以来身体のことについて自分なりに学びを深めています。

仏教詩人の坂村真民先生には「尊いのは足の裏である」という題の詩があります。

尊いのは頭でなく
手でなく足の裏である
一生人に知られず
一生きたない処と接し
黙々として
その努めを果たしてゆく
足の裏が教えるもの
しんみんよ
足の裏的な仕事をし
足の裏的な人間になれ
頭から光が出る
まだまだだめ
額から光が出る
まだまだいかん
足の裏から 光が出る
そのような方こそ
本当に偉い人である

足の裏は、私たちが意識するしないに関わらず、汚い床に常に接しながら身体を支える土台として黙々とその努めを果たしてくれています。

真民先生は、一日の終わりにその自分の足の裏を洗い、感謝して寝ることを習慣とされていたそうです。

恥ずかしながら、今まで足の裏を意識することなんてほとんどありませんでした。

意識するとしたら、怪我をした時や痛みを感じた時ぐらいだったのではないかと思います。

足の裏に感謝の気持ちで接するからこそ、足の裏もその気持ちに応えてくれるんですよね。

足の裏に限らず、内臓や血管などあらゆる身体の組織は、意識するしないに関わらず私たちが生きていくために活動してくれています。

そして、私たちの日々の生活も多くの人々の存在や自然の恵みに支えられています。

「朝に礼拝、夕に感謝」

と言ったりしますが、まさに一日の節目にそのようなことに想いを巡らすというのは私たちにとってとても大切なのではないでしょうか。

自分を生かしてくれる存在の尊さを感じながら、日々の生活を過ごして行くことができれば、また少し違った世界が見えてくるのではないかと思います。