田舎住職 つれづれのつぶや記

仏教・禅のこと、お寺の日々のこと

他者への寛容

「生きづらい世の中は、息(呼吸)がしづらい世の中だ」

先日、何気なく聴いていたラジオから聞こえてきた言葉です。

「失敗が許されない社会の空気が、心身を緊張させたり萎縮させやすい環境を作っているのではないか」

という言葉が、その後に続きました。

私は、多くの時間をお寺で過ごしているため社会との接点も人よりは少なく、そのような空気感に接する機会も、もしかしたら少ないのかもしれません。

それでも、新聞やメディアから入ってくる情報や普段の生活の中で社会と接する際に、そのような空気を感じることは多々あります。

SNS等が発達し、誰でも簡単に情報を発信できるようになった影響でしょうか。

コロナ禍を通して、そのような空気感がより一層強くなったようにも感じています。

もちろん身体を緊張させている原因は、他にも色々あると思います。

スマートフォンなどのデジタル機器によって、朝から晩まで目を酷使たり、大量の情報に日々晒されていることも原因の一つでしょう。

「たかが身体の緊張くらい」


と思う人もいるかもしれませんが、個人的にはこういう影響は結構馬鹿にできないと感じています。

身体と心は一つのものです。

身体が緊張すると呼吸も浅くなりますし、それが私たちの心の余裕に影響することは容易に想像できることです。

そして、そういう心身の状態が不寛容な社会の雰囲気に多少なりとも影響を与えているのではないでしょうか。

日常の生活の中で、そういう心身の緊張をリセットできる習慣があれば、もう少し自分自身に対しても周囲の人に対しても寛容になれるのではないかと思ったりもします。

人の失敗に寛容になるということで、思い出す話があります。

漫画家の赤塚不二夫さんが、『天才バカボン』の連載をされていた頃の話です。

原稿の締切り前日。

赤塚さんは、書き上げた原稿を若い編集者に手渡したのですが、原稿を受け取って帰ったはずの編集者がしばらくして大慌てで戻って来たそうです。

理由を聞くと、なんとその編集者は赤塚さんが書き上げた原稿を、どこかに置き忘れて失くしてしまったとのことでした。

真っ青な顔をしている編集者。

そんな若い編集者に対して赤塚さんは、

「まだ少し時間がある。呑みに行こう」

と言いました。

そして本当に呑みに行った後、仕事場に戻り原稿を描き直し、

「二度目だから、もっとうまく描けたよ」

と言って、その原稿を編集者さんに渡されたそうです。

赤塚さんの寛容な心は、その若い編集者の人生に大きな影響を与えたことでしょう。

心温まる素敵な話です。