田舎住職 つれづれのつぶや記

仏教・禅のこと、お寺の日々のこと

震災から二十九年

一月もあっという間に半分が過ぎました。

「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」というように、年が明けてからの三ヶ月は本当にあっという間に過ぎていきます。

「歳をとるたびに月日が経つのを早く感じる」と口にする人はとても多いですが、そういうことを年々実感するようになってきました。

なぜ、大人になると時間が経つのを早く感じるのだろう、と考えた時に思うのは、心からワクワクするような行事や待ち遠しく感じるような予定が年齢を重ねるごとに少なくなっていることが一つの原因かなと感じました。

もちろんそれだけではないと思いますが、小学生の頃を思い返してみると、楽しみにしていた予定の当日、嬉しくて目覚ましよりも早く目が覚めたりするようなことが今よりもたくさんあったように思います。

スキー遠足、修学旅行、運動会、などの学校行事に限らず、叔父さんや叔母さん、いとこたちが帰ってくるお正月、母の実家への里帰り、クリスマスや誕生日など、たとえ特別な日ではなかったとしても些細な日常の出来事にもワクワクしていました。

そんな楽しみを待つ時間や些細なことへの喜びが、時間が過ぎるのをゆっくりに感じさせていたのかもしれません。

個人的には、時間が過ぎて行くのを早く感じることは決して悪いことばかりではないと思っていますが、子供のころに持っていた目の輝くような好奇心や、ワクワクするような気持ちは大人になっても大切にしたいなと思います。

いずれにしても、時の流れや時間の経過の速さは、年齢やその年にあった出来事など、時と場合によって変化するのだろうと思います。

さて、先日の1月17日は阪神淡路大震災の震災発生から二十九年となる節目の日でした。

当時私は小学校四年生でしたが、震災が起きた当日の朝、父が見ていたニュースの映像を今でも鮮明に覚えています。

元旦には能登半島での地震もあったため、今年の1月17日をいつもとはまた違う気持ちで迎えたという方もおられたことでしょう。

地元の新聞の一面には、大きな字で、

阪神大震災29年 能登とともに 亡き人をしのぶ祈り」

と書かれていました。

中には、今回の能登半島での地震で被災され家が全壊された方が「能登を復興していこう」という気持ちを胸に、車を走らせて神戸の地で祈りを捧げたという記事もありました。

あれから二十九年。

夜明け前の暗闇の中に並べられた灯篭の明かりの前で、涙ぐみながら手を合わせる人の姿を見ると、たとえ長い年月が経過してもつい先日のことのように思い返されるのだろうと想像します。

時間の速さの感じ方が人それぞれなように、震災からの二十九年という月日の長さも人それぞれです。

決して勝手な自分の時間軸で、その出来事を見てはいけないなと思います。