田舎住職 つれづれのつぶや記

仏教・禅のこと、お寺の日々のこと

変わらないものと変えていくべきもの

今シーズンは雪かきをせずに春を迎えるのかなと思いましたが、先日の寒波でしっかりと雪が積もりました。

雪かきは大変なのですが、雪化粧という言葉もあるように辺り一面真っ白い雪に包まれた景色はとても綺麗です。

子供の頃は雪が降るのが楽しみで、雪が積もると一人でも時間を忘れて遊んでいたように思います。

まだまだ身体が元気なのでそのように感じることができていますが、歳をとってもそう言っていられるかどうか・・・

正直あまり自信はありませんが、できるだけ元気でいられるように生活習慣に気をつけながらこれからも過ごしていきたいと思います。

さて、先日昨年の十二月に亡くなられた方の忌明けの法事がありました。

ここ数年は、新型コロナウイルスの影響で法要の後のお斎(会食)にお呼ばれすることはなかったのですが、最近少しづつ「和尚さんも一緒にどうですか」と声を掛けていただく機会も増えてきました。

私が大阪のお寺にいた時には、お斎の席に僧侶が招かれるということはほぼ皆無でしたが、檀家さんとの普段の付き合いの中ではなかなか聞くことができない話や昔話を伺うことができたり、亡くなられた方のことを知ることのできるよい機会だと個人的には思っているので、法事の後の予定がない限りは参加させていただいています。

先日の後席の時に私の前に座られたのは、故人さんのお姉さんにあたる96歳のおばあさんでした。

その隣には13歳差の妹さん。

お二人とも年齢を感じさせないほどお元気で、いまだに畑にでて野菜作りを楽しんでおられ、妹さんは家の会社の切り盛りをまだ現役でされていました。

私たちの世代の人で、この年齢になってまでこれだけ元気でいられる人がはたしてどれくらいいるだろうか、と考えてしまいます。

話を聞いているこちらの方が、元気をいただきました。

昔の人は、現代人とは比較にならない程身体を動かす機会も多く、今よりも確実によく歩いていたことだと思います。

そして、今のように欧米の食文化が入ってくるまでは、食生活も日本人の身体にあった食事をされていたことでしょう。

夜もテレビやゲーム、スマートフォンなどの娯楽がなければ自然と早く寝る。

元気なご年配の方と話をしていると、そういう小さい時の健康的な生活習慣という体験が年齢を重ねても元気でいられる一つの要因となっているのではないかと感じます。

昔よりも経済的に豊かになり、比較にならないほど便利になったことによるメリットももちろんたくさんあります。

しかし、それと同時に失われていったものもあると思います。

「それは昔のことだから」

とか、

「便利な方がいいじゃなかいか」


と今まであった文化や習慣を切り捨ててしまうのではなく、便利になった時代だからこそ、そこから学ぶことはたくさんあるのではないかと思います。

時代の流れとともに、二世帯や三世帯で生活する家庭が少なくなり、さまざまな儀式や文化がどんどんと簡略化されご年配の方との接点も少なくなる一方です。

そして、利便性ばかりを追求していく中で、そういう話を聞いたり知ったり体験することのできる機会もどんどんと失われていっています。

いつの時代もそのようにして、時というものが過ぎていくのかもしれませんが、自分の家に素晴らしい宝があるにも関わらず、外に向かって宝を探し求めるようなことばかりしているような気もします。

先人たちが残してくれた貴重な財産を、自ら手放していってはいないでしょうか。

「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」

松尾芭蕉は言われました。

「不易」とは、どんなに時代が移り変わっても変わらないことをいい、「流行」とは、その時々に合わせて変化していくことをいいます。

ただ闇雲に時代の流れや流行に任せていくばかりではなく、ものごとを冷静に見つめ直す時間が私たちにはもう少し必要なのではないかと思います。